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藤桜の姫

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『ブログでは、長年苦しんだアトピーについて書いています。また、アトピーと“食事”、“季節”、“心”との関係や“身体の仕組み”、“アトピーから学んだこと”など、私がアトピーで悩んでいた時に知りたかった色々な情報を載せています。アトピーの方もそうでない方も、ぜひ読んでみて下さいね^^』

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私の体は、他にも様々な“異変”を起こしていきます。。。

前回の記事で書いた、左手の薬指から緑色の液体が出たのは、
中学1年生の2学期頃です。

その症状は、絆創膏を貼ったり、軟膏を塗ったりすることで落ち着いてきたのですが、
その後すぐに、今度は左側のこめかみにぷくっと大きな“ニキビ”が1つでき始めます。

サイズでいうと、小豆くらいの大きさです。
それが1つこめかみにできたのです。

ただ、こめかみに1つニキビがあるだけで、顔には他に何もできませんでした。
その1つのニキビを除いて、“できもの”なんて何一つ顔にはなかったです。

しかも、そのニキビができた場所がちょうどこめかみだったので、
前髪で隠すことができ、さほど気にしていませんでした。

むしろ、他の子が顔中にたくさんニキビができているのを尻目に、
「私はニキビがたくさんできなくてよかった」と思っていたくらいです。

しかし、顔中にニキビが出ている子は時間が経てば、少しずつ良くなっていきましたが、
私は1つしかできていないのに、ニキビが一向によくなりませんでした。

膿んでは乾いて、膿んでは乾いてを繰り返すだけで、いくら経ってもよくなりません。

なかなか治らないので、少しは気になっていたのですが、
他の子と比べて私は“1つしか”ニキビができていないということだけに安心していたのか、
薬指の時とは違い、大して何も対処はしませんでした。

それが功を奏したか分かりませんが、脱ステ中の現在、
左側のこめかみに小豆サイズのニキビはありません。

影も形もありません。
左手の薬指とは違い今はきれいに治っています。

ただ、“アトピーが噴出した頃は、そこから何か悪い菌が入って
アトピーが噴出したのではないかと疑うことはありましたが、、、”

当時の私は“1つしか”ニキビができていないことに囚われ、
ニキビが治らないことよりも、その“1つ”という数だけを問題にしていました。

正直な話、「見た目がよければ問題ない」と当時の私は思ってました。

だからニキビがなかなか治らないことよりも、ニキビの数の方が気になっていました。

今になってみると
ニキビの数といった“外見”を問題にするのではなく、
ニキビを治すことができない“自分の体”に目を向けるべきだったとつくづく思います。

結局、当時の私は何も気づくことができず、
ここでまた1つ、体が発する“サイン”を見逃してしまいます。


また、「なかなか治らない」といえば、足や手にできた傷が治りにくくなっていました。

例えば、転んで膝を擦りむいたとします。
当然そこから出血しますが、一時すると出血もおさまり、かさぶたができ始め、
そのかさぶたがとれると、また元通りの皮膚になりますよね。

これが傷を治す時にたどる過程だと思います。
人間なら誰でも持っている自然治癒力で傷を治しているのですが、、、

私の場合は、そのかさぶができるまでに、かなりの時間がかかっていました。
しかも、かさぶたがようやくできたと思っていたら、そこから膿が出てき始めます。

そして、ようやく膿も止まり、かさぶたがとれると、
元通りに戻っているはずの皮膚の色が少し黒ずんでいるわけです。

そのため、結局「傷がちゃんとよくなったのか、よくなっていないのか」は
自分自身でもあやふやな感じでした。

ただ、ニキビと同じように、膝が少し黒ずんでいるだけで、
特に人の目に触れるわけでも、体に特別な変化が起きたというわけでもなかったので
当時の私は特に気にしませんでした。

しかし、その黒ずんでいた所は、今では黒ずみも消え、きれいな肌になっています。

ということは、今になってようやく
私の体に、中学生の頃にできた傷を“治す力”がついてきたのだと思います。

その当時は今のように酷くアトピーの症状は出ていませんでしたが、
ニキビも膝の傷も治らなかったことから考えると、相当免疫力が低かったのでしょう。。。

今の方がアトピーの症状としては酷く出ているものの、
もしかしたら、いや確実に、
中学生の頃の方が今よりも免疫力が低かったのではないかと思います。

当時の私が自覚していないだけで、確実に私の体はおかしくなってきていたようです。

そんなこととも露知らず、「自分は健康だ」と思い、日々の暮らしを送っていました。

アトピーが噴出した時は、
何もないところから“突然”アトピーが発症したと思っていましたが、
こうやって知らず知らずのうちに、アトピーになる原因が私の中にあったのだと思います。

やはり、
私がアトピーを突然発症したのも、発症するべくして発症したのかもしれません。

そしてさらに、私の体には、ちょっと変わった異変が起こり始めます。

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自分では自覚していませんでしたが、前回の記事でも書いたように、
中学生に入ってから、少しずつ私の知らない所でアトピーの症状が進行していたようです。
そして、私が考えている以上に、自分の体は相当疲れきっていたようです。

と、今になって
ようやく当時の私がどういった状態にあったのか自分でも分かるようになってきました。

当時は体が疲れていても「そんなもんだろう」と軽く考えていました。
それに特に困った事態に陥ったわけでもなかったので、深く考えていませんでした。
その時は、深く考えなくても何も問題がなかったのです。

だからでしょう。
何も考えずに、腕や脚に塗る軟膏を平気で顔に塗ることもできたのだと思います。
軟膏を塗っていた方は分かると思いますが、軟膏を塗るとすぐに肌がきれいなるんです。
何も知らない当時はそれが嬉しくてたまりませんでした。

例えば、カサカサした肌に塗ると、艶もでてくるので、
まるでCMに出てくる女優さんの肌みたいになっていました。
唇に塗ると、グロスを塗ったように見え、ぷるっとした唇になっていました。
それが本当に嬉しかったんです。

中学生の女の子というと、ほとんどの子が「おしゃれ」に目覚める時期だと思います。
私もその例に漏れず、中学生の頃に「おしゃれ」に目覚めたので、
他人の目がとても気になっていました。
好きな男の子もいましたし…(笑)

だから、すぐに肌がきれいなれる軟膏を軽い気持ちで使っていたのだと思います。

当時の私が、
あまりにも『自分の体』や『薬』に対して自覚がなさすぎたのは一目瞭然ですが、、、
そういった点に目がいかなかったのは、
私の頭の中で、ある前提が設定されていたからでしょう。

疑いようのないとういか、疑うべきでない常識と言った方がいいかしれませんが、
それが私の考えの軸だったので、その軸がおかしいとまで考えが及びませんでした。

その軸とは、
「薬が病気を治してくれる」「薬を塗っていれば問題ない」といった薬への強い信頼です。
だから、病院にも多大な信頼を寄せていました。

そして、もう一つは
「自分の体は大丈夫!」と自分の体を過信しすぎていたことにあります。

今まで話してきてわかるように、
他の子と比べると、私は決して体の強い方ではありませんでしたが、
「自分が体が弱い」とは全く考えていませんでした。
むしろ「何をしても大丈夫」と思っていました。

どうしてクラスの中で一番に風邪を引く人間が
「何をしても大丈夫」といった考えを持てるのか、自分でも不思議でたまりませんが、
その当時はそう思っていたのです。

要するに、自分のことが全くわかっていませんでした。


しかし、こんな私でもさすがに目に見える『異変』には気づきました。

左手の薬指から、“緑色の液体”が突然出てきたのです。
最初は左手の薬指が少し“ねちょねちょするかな?!”
といったあやふやな感覚だったので、気にもとめていなかったのですが、、、

数日後、薬指から緑色のねちょっとした液体が出てくるようになりました。
これに最初気づいた時、あまりの驚きと怖さで母親に相談することもできませんでした。

「もしかしたら、変な病気にかかっているかもしれない。。。」とか
「結婚指輪がはめられない。。。」とか
そんな思いばかりが頭の中を巡っていました。

それなら尚更相談するべきだったのですが、自分の口からなかなか言えずにいました。

それから数日経っても緑色の液体は出続けていました。
そこで私は薬指に絆創膏を貼ってみたり、
いつもの軟膏を塗ってみたり、
それでも症状が落ち着かない時は、家にある、あらゆる塗り薬を試したりしていました。
すると、少しずつ症状も落ち着いてきたのです。

症状が落ち着いてくると、自分の気持ちも徐々に落ち着き、
薬指に出ている症状も気にならなくなりました。
そして、自分でも気づかないうちに、自然と薬指はよくなっていました。

最初は「変な病気じゃないか」とパニックになるほど心配したのに
症状が出なくなると、何事もなかったかなように薬指のことは忘れてしまっていました。

当時は症状がでなくなれば、それでよくなったと思っていたのです。

当時の私は出ている症状だけに目がいきすぎ、
「なんで薬指から緑色の液体が突然でてきてのか?」、「原因は何なのか?」
その点を考えることすらしませんでした。
そうして、体が発している“サイン”を見逃してしまったのです。

それから15年以上、時は流れましたが、私の左手の薬指はまだ治っていません。
他の指はきれいに治っていますが、薬指だけ症状がくすぶっています。

薬指から緑色の液体はもう出てきませんが、膿(リンパ液)が少し出ています。
ほんの数ヶ月前までは、皮膚が破けてそこから赤い“み”が見えていました。
今は少しリンパ液が出るものの、それが乾くと分厚い皮ができるようになりました。

当時は症状が一旦落ち着いただけで、
結局は治っていなかったということでしょう。。。


当時のことを振り返ると、
自分があまりにも無知で、あまりにも安易な行動をとっていたことが怖くなります。
知らなかった故にとれた行動とはいえ、本当に恐ろしいです。

そして、私の体は他にも様々な“異変”を起こすようになっていきます。

続きは次の記事で書いていきますが、薬指の時と同じように
私はせっかく体が出してくれた“サイン”を見過ごしていくことになります。

結局アトピーが噴出し、手に負えない状態になるまで
私は体の“サイン”に気づくことはできませんでした。

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中学生に入ると、『あれ??』と思うような異変が体に起こり始めます。

この頃のアトピーの症状ですが、小学校の高学年頃とあまり変化はありませんでした。
ただ、顔の皮膚に違和感を感じるようになりました。

例えば、車でドライブしている時に窓を開けると、風が少し入ってきて気持ちいいですよね?!
強い風じゃないですよ(笑)心地よいそよ風のような感じです。
今までは、その風が顔にあたっても何とも感じませんでした。
むしろ気持ちがいいと感じていたんです。

その心地よいと感じていた風が、中学生頃になると、
心地よいどころか『痛み』を感じるようになりました。
風が顔にあたると、痛くて、肌がつっぱってしまうのです。
肌がつっぱると、顔が動かしにくくなり、特に口が開けににくくなったりしていました。

この時は、“年をとると顔がつっぱってくる”といったようなことをテレビで言っていたので、
私もそうなのかな?!ぐらいにしか考えていませんでした。

でも今思えば、顔の皮膚にもアトピーの症状が少しずつでてきていたのかもしれません。

そんな状態だったので、顔を洗った後なんかは、顔がつっぱっていました。
だから腕と脚の関節に塗っている軟膏をお風呂上りは顔にも少し塗っていました。


あと「疲れ」もすごく感じるようになりました。
中学生になって塾に行きだしたことも影響しているかもしれませんが、
毎日疲れていました。

この時はいつも「疲れた~」と言っていました。
家に帰ってきての第一声が「ただいま!」ではなく「今日も疲れた~」でした。
まるで、会社帰りの中年のおじさんみたいですね(笑)

でもこの頃は本当に毎日疲れていました。

朝、学校に行ったら授業を受けて、
放課後になったら部活をして、
部活から帰ってきたら塾に行って、
夜の10時半頃、塾から帰ってきたら、ようやく晩御飯にありつけます。
それからお風呂に入って、学校の宿題をして、就寝。。。。

私が特別な生活を送っていたわけではないですが、
毎日ハードな生活を送っていたように思います。

そして休みの日には、よく昼まで寝ていました。
休みの日に寝ておかないと、疲労困憊で死んでしまいそうでした。
小学生の頃は、休みの日でも早く起きて、朝のアニメなんか見れていたのですが、
この頃はとてもじゃないですが、そんな力はありませんでした。

この時に、部活でも塾でも何か一つでも辞めていれば、
そんなに疲れを感じずにすんだのかもしれませんが、
周りの友達も同じような生活を送っていたので、
この生活が当然のことで、何かを辞めるという考えに及ばなかったのも事実です。


あと、相変わらず「虚弱体質」であることは変わりありませんでした。
クラスで一番に風邪を引くのも変わりませんでした。

少し変化があったことといえば、小学生の頃と比べると「食が太く」なりました。
中学生になると給食ではなく、家から弁当を持っていかなくてはならなかったのですが、
それが良い影響を与えたのかもしれません。

私だけが感じていたことかもしれませんが、
正直なところ小学校の給食は味が美味しくないというよりは、
素材そのものに問題があるのではないかなと思っていました。

特に給食で出されたサラダ何かを食べると、除草剤?!のような味がしていました。
。。。腐っているような、感じです。
これはあくまでも私が感じていたことです。

だからといって私自身の食が細かったことと直接関係しているわけではないですが、
家で出されたサラダはそんな味はしないのにと思っていました。

学校給食と家で出された食事のメニューが特に違うわけでもなかったのですが、
学校給食よりも家の食事の方が、違和感なく食べれていました。
(注)学校給食の話は私が感じていたことです。誤解しないようにして下さい。

と、話がそれてしまいましたが、
弁当給食になってから「食が太く」なり始めたのは事実です。
以前よりもよく食べることができるようになってきました。


「虚弱体質」であることも変わりなかったのですが、同じく「排泄能力」も低いままでした。
週に1,2回、便が出る程度でした。

今考えると、便が出ないことがおかしなことだと分かるのですが、
小学生の頃もそうですが、この頃特におかしいと感じませんでした。

というのも、毎日便を出すものだということを知らなかったからです。
「嘘でしょ?!」と思う方もいるかもしれませんが、
当時は別に便が出ないことが当たり前だったので、特に変だと感じませんでした。

親に毎日便が出てるか出ないかのチェックをされるわけでもないですし…

むしろ「便は汚いから出なくてもいいや」という気持ちの方が強かったように思います。

今の私なら、中学生の私に教えてあげることができるのですが、
その時の私は、自分の体に関して全く無知でした。
無知すぎたと思います。


中学校に起きた体の異変については、
長くなってしまったので、次回の記事で書きたいと思います。
それにしても、知らないって本当に恐ろしいです。。。


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前回の記事で幼少の頃は、とても“体の弱い子”だったと話しました。

そんな体の弱い子が小学生にあがると、どうなっていたかというと、、、
見た目には、とても“元気で、活発な子”に変貌を遂げていました。

家から小学校まで2km歩いて毎日通っていたので、
自然に体力がついていったのだと思います。

「歩く」ことは健康に良いとよく言われていますが、
私自身の経験からしても本当にそうだと思います。

日本で初めて日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬も、
当時の平均年齢が50歳であるにも関わらず、73歳まで生きたそうです。

こんなに長く生きられたのは、
全国を“歩いて回った”ことが関係してるのではないでしょうか。
(これは私の憶測ですが。。)

話がそれましたが、
小学生時代の私はたくさん“歩いていた”ことが功を奏してか、
『表向き』には元気で活発な子でした。

しかし、たくさん歩いても体の中まで改善しなかったのか
『虚弱体質である』ことには変わりありませんでした。

相変わらず、「食は細い」ままでしたし、
クラスで一番に、「風邪も引いて」いました。

そして、理由はわかりませんが、よく「お腹が痛く」なっていました。
病院に行くと「過敏性症候群」と診断されたことがあります。

と、幼少の頃に比べると、少しは強くなったものの、
体の中身つまり“体質”自体は全く変わっていませんでした。

だから、幼少の頃と同じように、
病気にかかれば病院に通い、処方された薬を飲むことを繰り返していました。


そして、小学生の頃になると、アトピーの症状が顕著に現れてくるようになりました。

体育会の時期は砂埃などの影響で目が赤くなり、「アトピー性結膜炎」になっていました。
もちろん、目が赤くなると眼科に通い、その症状を抑えるために薬をもらっていました。

眼科といえば、視力が少し落ちた時、お医者さんから薦められて
「視力がよくなる薬」というものを1度試したことがあります。

その「視力がよくなる薬」は病院の指導の下でしか使用できないらしく、
病院でその薬を時間を空けて、看護婦さんにさしてもらいました。

目に何度も何度もさすのですが、これが痛くて痛くてたまりませんでした。
その薬をさした後は、目も開けられないほど痛く、本当に視力が戻るのかとても心配になりました。
その後、視力は戻ったのですが、あの激痛だけは今でも忘れません。

でも、この「視力がよくなる薬」とは一体何だったのでしょうか??

今だったら「視力がよくなる薬」とだけ聞いて、それを目にさすことなんて怖くてできません。

ただ、その当時は『目が悪くなるくらいなら、さした方が良いだろう』という気持ちが強く、
また、お医者さんの言うことだから問題ないと思い、目にさすことを了解しました。

しかし、いくらお医者さんの言うこととはいえ、
何も考えずに了解したことは、あまりにも軽率な行為だったと反省しています。

「視力がよくなる薬が一体何なのか?」
「どういった副作用があるか?」 

などきちんと知っていれば、

「目にさすのか」それとも「目にささないのか」、またその他の選択もできたと思います。

『世の中知らないことが良いこともありますが、
きちんと知っておくべきことは知っておいて損はないようです。』

知ることで自分の選択肢が広がりますし、自分にとって良い選択をすることが自分の力でできるからです。
でも本当に知らないって怖いですね。

では、話を戻します。

目の他には、この頃、皮膚にもアトピーの症状がでてきました。
腕と脚の関節がカサカサした状態になっていました。
でも常にカサカサした状態が続いていたのではなく、
特に季節の変わり目にそういった症状が出ていました。
軟膏もその症状が出た時だけ塗っていました。

だからこの頃、見た目には私がアトピーを持っている、と誰もわからなかったと思います。

ただ小学校高学年頃にると、顔を洗った後、顔が突っ張る感じがしていました。
何だか顔が動かしくいという感じです。

この頃から少しずつ、皮膚の異変を感じるようになっていきます。


アトピー以外のことで何か変わったことといえば、『排泄能力』がかなり低かったです。
つまり、便や尿、汗といった体の中に溜まった悪いものを出す力がとても弱かったです。

便に関していえば、1週間に1度出るか出ないかという感じでした。
だから検便の時は便がなかなか出ないで苦労しました。
一人だけいつまでたっても検便を提出しないので、先生に怒られたことがあるくらいです。
だから検便がある時は憂鬱で仕方ありませんでした。

また、汗もあまりかかない子でした。
夏の暑い日、弟は汗をだらだら流しながら帰ってくるのに、
私は汗が出ないので、どこか涼しげな感じでした。
たぶん体がとても冷えていたのだと思います。
こんな感じだったので、逆に冬は寒くて寒くてたまりませんでした。


このように、
小学生の頃の私は、幼少の頃と比べると、体力は少しついたものの
『虚弱体質』であることには変わりなかったようです。
しかも、体に溜まった悪いものを出す力も弱かったといえるでしょう。

そして、アトピーの症状もも徐々に出てくるようになっていました。

アトピーが噴出したのは中学2年生の終わり頃です。
それまでに何があったのでしょうか?
それまでには、もう少し話をしないといけません。

どうぞお付き合いくださいませ。

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『では、私は一体何が原因でアトピーが噴出してしまったのでしょうか?』
生まれた頃から順を追って、原因を探っていきたいと思います。

母の話によると、私は未熟児で生まれてきたそうです。
体重は2540kgで、保育器に数日入っていたようです。
他の子よりも少し長く保育器に入れられていたそうなので、
この世に誕生したての頃は、平均よりも小さく産まれ、
他の子と比べると体が少し弱かったという感じでしょうか。

また、この頃の私の様子ですが、お乳をあまり飲まない子供だったようです。
少しお乳をあげただけで、顔をぷいっと別の方向にむけ、
「もういらない」という感じだったようです。

このことをお医者さんに相談すると、1度「食欲が出る薬」というのを処方されたそうです。
この薬を飲ませたら、いつもはほとんど飲まないお乳を
たくさん飲み始めたので本当に驚いたそうです。

「体が弱い上に、小食」ということは、
私はかなり虚弱体質の子供だったんじゃないかと思います。

そんな虚弱体質の子供だったので、小さい頃からたくさんの病気にかかっていたようです。
だから、その頃からよく病院に行っていたと母が言っていました。

私にはその頃の記憶はほとんどありません。
ただ幼稚園頃の記憶には、近所の病院の馴染みの客として
看護婦さんと親しくしていた記憶があるので、
何かあればすぐに病院に行っていたのだと思います。

母も幼稚園に連れて行った記憶よりも、病院に連れて行った記憶の方が強いそうです。

そういったことから考えても、
もうこの頃は、体に不調を感じればすぐに病院に行くことが当たり前になっていたようです。
病院が病気を治してくれる所だと母も私も思い込んでいました。

そして、病院に行けば、当然、薬をもらいます。
病気の原因である菌を殺すための「抗生物質」や咳を止めるための「咳止め薬」、
お腹が痛い時には「点滴」までしていました。

このように、私は幼少の頃から、いろいろな薬を飲んでいました。
他に何をしたかというと、国の規定に従って「予防接種」をしていたくらいです。

幼少の頃の私は、他の元気な子と比べると、少し体は弱かったのかもしれません。

でも“心情病”といったような大きな病を抱えているわけでもなく、
私みたいに体が少し弱い子というのは、どこにでもいるのではないでしょうか。

このブログを読んでくださってる方の中にも同じような方がいるのではないかと思いますし、
同じような幼少時代を過ごされた方もいるでしょう。

『では、一体何がアトピーが噴出した原因となっているのでしょうか?』

そのことに関しては、小学生と中学生時代の記事を書き上げてからまとめて話すとして、
ここまで読んだだけでは、何ら原因はないように思いませんか?!

ただ元気な子よりも少し体が弱かっただけです。
ただそれだけです。

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